
先日、お墓の植木を剪定していました。
梅雨が明けたこともあり、朝から強い日差しが照りつけ、少し体を動かいただけで汗が流れてきます。
伸びた枝を一本一本整えていくと、お墓の周りが明るくなり、景色まで少し違って見えてきました。
作業の合間にふと空を見上げると、梅雨の間には見ることのできなかった青空が広がり、本格的な夏の訪れを感じました。

境内を歩いていると、季節が少しずつ移り変わっていることを肌で感じます。
梅雨の間に美しく咲いていた紫陽花も、少しずつ役目を終えようとしています。その一方で、夏の花々が境内に彩りを添え始めています。
毎年繰り返される景色ですが、不思議と同じ夏は一度もありません。
暑さの感じ方も、その時々の出来事も、自分自身の心のありようも、去年とは少し違っています。
だからこそ、毎年迎える夏であっても、新しい季節を迎えているような気持ちになります。
忙しく過ごしていると、季節の移ろいに気づかないまま一日が終わってしまうことがあります。
私自身も、法務や境内の手入れなど、目の前のことに追われる日があります。
そんな時でも、作業の手を少し止めて空を見上げたり、風に揺れる木々を眺めたりすると、不思議と気持ちが落ち着くことがあります。
何か特別なことがあるわけではありません。
吹き抜ける風。
蝉の声。
木々の葉が揺れる音。
その何気ない風景に触れていると、「今年も夏を迎えたのだな」と、季節の巡りをあらためて感じます。
参拝に来られた方から「暑くなりましたね」と声をかけていただくことがあります。
その何気ない一言にも、同じ季節を過ごしていることの温かさを感じます。
当たり前のように過ぎていく毎日ですが、少し足を止めて周りを見渡してみると、小さな発見やありがたさに出会うことがあります。
日蓮聖人は『波木井殿御書』の中で、
「吹く風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも、妙法の五字を唱えずということなし」
とお示しになっています。
身延の豊かな自然の中で、吹く風や揺れる草木、水の流れる音、そのすべてに妙法のはたらきを感じられたお言葉です。
このご遺文を拝すると、境内で耳にする風の音や蝉の声も、これまでとは少し違って聞こえてくるような気がします。

自然は何も語りません。
それでも、季節が巡るたびに新しい景色を見せてくれます。
同じように見える景色でも、その時の自分の心によって感じ方が変わることがあります。
だからこそ、季節ごとに境内を歩く時間を、私は大切にしたいと思っています。
今年の夏も厳しい暑さが続きそうです。
皆さまどうぞお身体を大切にお過ごしください。持経寺の境内でも、夏ならではの景色が静かに皆さまを迎えてくれています。
