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晩夏の風にのせて ― 盂蘭盆会施餓鬼法要のご報告

晩夏の風にのせて ― 盂蘭盆会施餓鬼法要のご報告

八月十九日、当山にて盂蘭盆会施餓鬼法要をお勤めいたしました。本堂には多くの塔婆が立ち並び、お経が響くなか、新盆を迎えられた御霊をはじめ、ご先祖や永代供養の精霊、戦没者の英霊にも回向をさせていただきました。お名前を一つひとつ読み上げながら塔婆に向かってお題目を唱えていると、塔婆は故人への手紙みたいなものだと感じました。まっすぐに書かれた南無妙法蓮華経の文字は、言葉にならない想いを仏さまを通して故人へ届けてくれるのです。

参詣された方々も静かに手を合わせ、塔婆を見つめながら故人を想うひとときを過ごされていました。読経と祈りが重なり、本堂は静かになりました。その静けさは、単なる無音ではなく、心に澄んだ水が広がるような落ち着きをもたらしてくれるものです。

今年のお盆も、多くの方がお墓参りをされました。花を手に、墓前で手を合わせるご家族、久しぶりに帰省されて親御さんと並んでお参りする姿など、その光景には毎年心を打たれます。墓前に立つと、亡き人と向き合うだけでなく、自分の歩みを確かめる時間にもなるように思います。また、棚経では多くのお宅に伺い、お仏壇の前でご一緒にお題目を唱えました。暑さのなかで迎えてくださったこと、玄関先で交わした何気ない言葉や差し出していただいた一杯のお茶、そのどれもがありがたく、地域と共に歩む喜びを感じさせていただきました。

塔婆を建ててくださる方々は、施餓鬼やお盆だけでなく、命日や年回忌、お彼岸など折々の機会にお願いくださいます。大切な方を想うとき、塔婆はその想いを形にする方法のひとつです。一本の塔婆に心を込めてお経をあげていると、ただそこにある木の板が不思議と「祈りのかたち」へと変わっていくように感じます。塔婆そのものに施主さまの祈りが宿り、それが亡き人へと届き、同時に残された人の心を静めてくれるのです。供養とは亡き人のためであると同時に、実は生きている私たち自身の心を整える行いでもあるのでしょう。

法要を終えて境内に出ると、まだ夏の陽射しは強いのに、吹き抜ける風にはかすかに秋の気配が混じっていました。盛んに鳴く蝉の声の中に、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえ、季節が少しずつ移ろっていることを感じさせてくれました。塔婆に刻まれた祈りもまた、風に乗って広がり、見えないところで人々の心を結びつけているように思えました。

このたび施餓鬼にあたり塔婆をお申し込みくださった皆さま、またお墓参りや棚経でご一緒くださった皆さまに、心より御礼申し上げます。塔婆は「供養の手紙」です。想いを届けたいとき、言葉にならない祈りを形にしたいとき、どうぞ遠慮なくお申し込みください。その一本一本が仏さまを通して大切な方に届き、そしてまた、ご自身のこころを静かに満たしてくれることでしょう。

お盆を過ぎても、私たちの供養の心は続きます。命日や年回忌の折にはもちろんのこと、ふと懐かしい人を思い出したときにこそ、塔婆を建ててみてください。それは大切な人へ宛てた手紙であり、自分の心を澄ませる時間でもあります。きっと亡き方も喜び、そしてその祈りは必ずご自身へと返ってきます。皆さまの日々が安らかであるように、そして亡き方々が安穏であるように、これからも祈りを重ねてまいります。

合掌