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春から夏へ、静かにうつろう季節のなかで

春から夏へ、静かにうつろう季節のなかで

春のやわらかな陽ざしが、いつの間にか初夏のまぶしさへと変わってきました。あたりの草木もぐんぐんと葉を広げ、境内を歩くと、青々とした緑のにおいがふわっと香ってきます。

日々の中で季節が移ろうのは当たり前のことなのに、ふと立ち止まったときにその変化の確かさに気づくことがあります。気づけば衣の感触も軽やかになり、朝の空気も冬の冷たさとはどこか違う、やわらかい透明さを帯びています。

お寺の境内では、少し前までつぼみだった花がほころび、虫たちが忙しそうに飛び交っています。木々の葉も深みを増し、まるで空に向かって腕を伸ばすように、その枝葉を広げています。

自然の姿に目を向けていると、「ああ、私たちもこの自然の一部なんだな」と感じます。草木が黙々とその命をのばしているように、私たちの中にもまた、ゆっくりと育っていくものがあるのかもしれません。

そんなことを考えながら、ふと思い出すのが『法華経』方便品第二の一節です。

「諸仏世尊 唯以一大事因縁 故出現於世」
(『法華経』方便品第二)

意味は、「すべての仏はただ一つの大切な目的のためにこの世に現れる」というものです。

私たち一人ひとりの中にある仏性――その可能性を目覚めさせ、育んでいくことこそが、仏さまがこの世に現れる理由だというのです。

誰かと比べる必要もなく、焦ることもありません。ただ、自分の歩みの中で、目の前のことを大切にしていけばいいのだと。草木が自分のペースで芽を出し、葉を広げ、花を咲かせるように、私たちもまた、自分の道をそれぞれに歩んでいるのだと思います。

日々の暮らしの中で、「なんでうまくいかないんやろ」と思うこともありますし、進んでいるのか止まっているのか分からなくなることもあるかもしれません。でも、そういう時こそ、季節のうつろいに目を向けてみるのも一つの手かもしれません。

静かに吹く風や、空をゆっくり流れる雲、そっと咲いた花。そうした小さな景色の中に、自分を取り戻す手がかりがあることもあります。

春が夏へと変わるこの季節。自然の歩みに耳をすませながら、私たち自身の歩みも見つめ直す、そんな穏やかなひとときが過ごせますように。

なお、当山では各種法要や永代供養も承っております。ご希望の方は、どうぞお気軽にご連絡くださいませ。

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