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季節のうつろいのなかで ― 心をうるおす仏さまの教え

新緑の葉がすっかり濃くなり、境内を吹き抜ける風にも、夏の気配が感じられるようになりました。
少し前までは柔らかな陽ざしの中、淡い緑がそよいでいたのに、いまは木々の葉もどこかしっかりとして、まぶしい日差しに負けじと輝いています。

この季節は、春から夏へとうつり変わっていくなかで、自然のいとなみの静かなリズムを感じられる、大切な時期でもあります。
何かが終わり、何かが始まる。そのあわいの時間に、私たちのこころも少しだけ立ち止まり、耳をすませたくなるのかもしれません。

そんな日々のなか、境内の紫陽花が静かに花を咲かせはじめました。
青や紫、白など、雨に濡れていっそう鮮やかに色づく花々が、しっとりとした空気のなかに浮かぶように咲いています。
日ざしのもとで輝く花も美しいですが、雨に濡れた紫陽花には、また別のやさしさや深さがありますね。

何気ない毎日のなかで、こうして花のうつろいに気づくことができると、「いまここに生きている」という実感がふっとわいてくるような気がします。

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仏さまの教えの中に、こんな一節があります而

「我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見」
(妙法蓮華経 如来寿量品第十六・自我偈)

意味は、「私は常にこの世にいるが、迷いのなかにある人々には、近くにいてもその存在に気づくことができない」というものです。

仏さまは遠くにいらっしゃるのではなく、実はいつもそばにいてくださる。
けれど、私たちが日々の慌ただしさや心のざわつきにとらわれていると、その存在に気づけないことがあるのです。

それでも、ふとした瞬間に見つめた草花の色、誰かのやさしい言葉、風に揺れる木々の音…。
そんな何気ない出来事のなかに、仏さまのまなざしがそっと宿っているように感じることがあります。

紫陽花は土の性質によって色が変わると言われています。
それと同じように、私たちのこころも、周囲の環境やご縁によってさまざまに変化します。
けれど、変わることを恐れる必要はありません。どんなかたちであれ、自分らしく咲いていこうとする心があれば、それだけで十分なのだと思います。

季節のうつろいのなかで、気づくこと、見つめること、受け取ること。
それは特別な修行ではなく、日々のくらしの中で静かにできる「仏道」のひとつではないでしょうか。

紫陽花が雨にぬれながら咲く姿を見つめながら、私たちもまた、さまざまな出来事を通して、心の奥にやさしい何かを育てているのかもしれません。

静かな時間のなかで、ひととき仏さまに思いを寄せる。
そのことが、少しずつ私たちの暮らしを照らしてくれるように思います。

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